奔走

今週のお題「下書き供養」

 

 混乱する癖があって、それはしずかに脳のうしろの方で眠り、すべての物事が、事件やイベントやゲリラ豪雨や、らが終わったあとの、たとえば深夜23時の山手線内回り八号車の席の上の、せいじゃくとか孤独とかひとりとかエンド・ロールだとかの最中に、不意に気がつく種類の真空だった。

 いつか見た街のネオンが夜の空気に溶けて滲んでいて、道を歩く人々にきちんと人生があるんだってことがはっきりとわかった夜のこと、等間隔に道端に並んだ不可解な親しみに、先輩は異議申し立てをせず、かと言って肯定もせず、ただどうでもいいと繰り返し、その上、街を去ろうともしないで、何かを待っていた。最も効率的に無に至る計画を練っていた。これからなにが待ち受けているのか知っていて、失敗のための丁寧な夜の外側にホイップクリームを塗っている。そこには悪意なんてなくてただ、もう変えることができない懐かしさを得るために、12時間と13万円を支払う。

 複雑な三人がありふれた言葉とルールにまとめられて、関係を耳障りの良い言葉に置換するための行動を起こそうとした者がこの中にいる。関わり合いを求めながら、何体もの分身を亡き者にした咎により、微塵も成長しなかった能力を白日の下に晒し、10年前に受けるはずだったチュートリアルを与えている。僕がいささか疲れてしまったのは、協力関係に喜びを見出せない未熟な社交性そのものより、他者を虐げることに喜びを見出す、その幼稚さ故です。ありを潰して喜んでいるのと同じ程度の感性を、もう見たくないと思ったので、みんなで仲良くしようねって、半分やけくそになりながら、桃鉄で遊んでいた。関係性に対する成功のモデルケースがあまりに少なすぎるから、少年マンガの悪役みたいになるしかない人と、ぼくは桃鉄でころしあうしかなかった。

誰かとただ海を見に行くとか、そういうことが今はしたい。