みえないものをかんじるちから

 知人が釣りに誘ってくれた。
 ぼくも〇〇の端くれなので(○○の中には好きな言葉を入れてください。おすすめは「田舎育ち」)、釣りの経験はあるけれど、もう10年はやっていない。でも釣りには行きたいと考えていた。釣りに、というよりも広い場所へ。
 釣りに、というよりも広い場所へ、の感覚を知人は心得ており、どちらかというとその考えを主体としてぼくを誘ってくれたようなので安心だった。密にもならんだろうしいいだろうと思った。
 知人の車に乗せてもらった。ぼくはなさけないことだが、本当に助手席の似合う〇〇だ。
 釣り場についた。それは巨大な船が停泊している広大な海と空の狭間だった。強烈な風が吹いていてぼくと知人はわっはっは、これは釣りにならんなと快哉を叫んだ。海にきて釣りにならんというのはおもしろいことであるようだった。風のない場所に避難した。
 知人は僕に仕掛けの作り方を教えてくれた。サビキという仕掛けだ。ちいちゃな網と四連針と錘が標準装備だ。どう考えてもこんな原始的な道具で魚なんて釣れそうにない。魚はもっと狡猾で賢くて厳密な考え方をするはずだ、とぼくは思った。
 知人が海に仕掛けを落とした瞬間魚が二匹釣れた。この世界は神秘で満ちていた。本当にわけがわからないものだ。本当にわけがわからないけれどわけなんて真実には関係がない。理由もなく正しい真実はたぶんある。サビキという仕掛けの理屈はぼくには信じられないほどシンプルで魚をだませるとはとても思われないのだが、ずっと昔の太公望はそれで魚が釣れると知っていたのだ。そしてぼくという〇〇はずっと昔の時代からすこし進化したような気になっていたけれど実は能力的にはあんまり変わっていなくてより複雑な道具を使用できるようになっているだけで本質は変わっていなくて魚だってそれはおんなじなんじゃないかと思われた。〇〇が誕生した瞬間からずっと変わっていない何かがぼくの中にあるということを逆説的に魚が教えてくれた。ぼくのブラックボックスはサビキで解釈されある種の信号に変換され魚のブラックボックスが受信する。
 知人を真似て仕掛けを垂らしてみるも全く釣れず空が高かった。
 ぼくは何度か糸を垂らしているうちに、錘が海底に着地した瞬間の手ごたえが分かるようになった。
 それは釣り人ならたぶん誰でも良く分かっている手のひらから伝わるやわらかい震動だった。
 錘が地面についたな、という感覚は、よく考えると不気味だ。ぼくには錘が見えていない。でもそれが手のひらを通してはっきりと分かるようになる。みえないものをかんじるちからがかくせいしていく。それははっきりとたしかにだれにでもあるちからなんだとぼくは文字通り触知する。めにみえるものだけがしんじつではないのだあたりまえだけど。錘着地感覚がかくせいしたあとに待ち構えているのは魚の幻覚だった。ぼくはたしかに錘が着地する感覚を得、その状況を頭の中で見ることができるようになったのだけれど、それに付随して今度は魚がぼくの仕掛けに寄ってきている幻覚を見るようになる。みえないものをかんじるちからがぼうそうしたのだ。要するに、そのぼうそうこそがつりのもっともおもしろいところなのだとぼくはかんがえる。
“あの岩のかげに魚がいそうだな!”と、そうぞうすること。かんがえをこらすこと。くふうをたくましくすること。それらのすべての発端はみえないものをかんじるちからなのだ。
 だからぼくははっきりとこう言える。
 〇〇を大事にしよう、と。
 

爆発

 家のそばを通る車の走行音に水音が含まれている。
 雨が降っているらしい。どれくらいの雨だろう。ひどく降っているのだろうか。
 爆発が起きた。
 空気が歪む「ッ」まではっきりと聞こえた。
「ッドガガガーーーーーンンン!!!!」だ。
 家の近くに特大の落雷だ。
 落雷の音は一音ではなくすごく大きな細かい音が瞬間的に連続して発音しているのがわかった。
 天と地を結ぶ光の筋からいくつも枝分かれした電気的な衝動が轟音を伴うことには納得せざるを得ない。
 残響がごろごろと不機嫌に遠ざかっていき、僕は枕に頭を戻した。
 もし宇宙人が地球に来て、はじめて雷を見たらどう思うのだろうか。
 そんな想像をした。
 とんでもないファンタジーだ。
 空から光の木が生えてくる星の話だ。
 
 知人に招かれた。
 ソファーに座って線路を繋ぎながらピザを食べる。
 僕は日本酒の瓶に口を付けてそのままどどどどと飲んでいた。
 ベランダから見える景色は隣のマンションの灰色の壁ばかりだった。
 壁の世界だ。壁と壁の間に住まう人間たち。すごく狭い空、湿った匂いのする生活圏。入り組んだ路地。
 夜中まで意味のない言葉を放り出し続ける。
 リクエストは多分、青春の再演だったろうから、文句も言わずにフローリングの上で雑魚寝をする。
 こんな経験なら過去に何度も味わったなあと遠く思う。
 粗末であることがちょうどしっくりくる時代はたしかにあった。
 でも、それはもう過ぎ去った。痛みを喚起する時代は。
 知人が寝ている間にそっと部屋を出る。

 爆発は純粋なエネルギーだった。
 負のエネルギーも正のエネルギーも関係なく、爆発は純粋なエネルギーだ。
 爆発力は原則として、爆発物の容器の密閉度が高ければ高いほど強くなる。
 ということを広瀬香美さんの歌を聴いて思った。
 これはなんらかの爆発だ。


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原因不明の元気

 元気の原因が不明だ。
 春を迎え、突如として元気になる。
 暗い気持ちが消えた。無気力も改善の兆しを見せている。
 疲労感はあるにせよ、永遠ではなくなった。
 
 筋トレも出来るようになった。
 上腕二頭筋を鍛える。三角筋、腹直筋も鍛える。
 大胸筋、大腿四頭筋も鍛える。
 プロテインも飲む。
 皮下脂肪の中で腹筋が割れてきた。

 英語のトレーニングをするゲームをしている。
 アールとエルの発音の違いが分かるようになった。
 ゲーム内ランキングのシルバーリーグは1位で通過した。
 My cat is not lawyer.
 私の猫は弁護士ではありません。
 例文がCrazyだった。

 変な夢をよく見るようになった。
 姉の部屋にメタリックな緑色のカブトムシがたくさん歩いている夢。
 小島秀夫さんに無数の寄せ書きがしてある名刺をもらう夢。
 海に巨大なリュウグウノツカイが泳いでいる夢。
 目覚めると、きちんと僕の部屋にいた。

 タイ料理を食べた。
 グリーンカレートムヤムクンヌードルとサラダとスーパードライ
 どれも美味しい料理だった。特にトムヤムクンは厳密な味がした。
 それはタイの空気だ。
 店には僕以外の客が一人しかいなかった。
 対面の回転寿司屋には二十人の行列ができていた。

 真夜中に退社して公園の喫煙所に行った。
 どこからともなく怒鳴り合う声が聞こえてきた。
 夜の風は濃い紫色で浄化した水の匂いがしていた。
 横断歩道の近くの縁石に座り込んだサラリーマンが音もなく吐いていた。
 自動販売機を探した。無かったので、僕はあきらめた。

 すごくおいしい豆をもらった。
 油も食塩も不使用で、自然な味のする豆だ。
 小袋で分けてあるので、ひとつ鞄に入れておいた。
 野良猫にあげようと考えていた。
 しかし、僕の住んでいる町には野良猫がまったくいなかった。
 僕も野良猫みたいなものだしなと思って自分で食べた。

 スマホのメモ帳に面白いメモが書いてあった。
“46歳までにレオンになればいい”
 ひとりで部屋で噴き出した。
 映画『レオン』はジャン・レノが46歳の時の作品だった。
 いい目標だと思う。
 ただスパイク・スピーゲルが27歳なのは僕は納得していない。
 ブライト・ノアが19歳なのも疑問だ。
 
 そろそろゴールデンウィークだった。
 奥多摩あたりの人のいなそうな宿で一日中本を読みたいなと考えた。
 温泉に浸かって、部屋でうまうまとご馳走を食べる。
 予約サイトで検索してみると、どこも予約でいっぱいだった。
 こんな時、広い庭のある家だったらなあと思う。
 陽射しの下にソファーを置いて、誰も死なない小説を読む。

 

迷子の手紙

 僕は大隈千紗重ではない。
 しかしながら、手紙の宛名にはたしかにそう書いてある。
 開いた郵便受けに記されている部屋番号は、見慣れた自宅の三桁だ。
 つまり、何かが起きている。

 僕の家には大隈さんが住んでいたのだろうか?
 それは違う。前住居者は男性だった。とある偶然によって、僕はそれを知っている。
 前々住居者だった可能性がわずかに残っている。けれどそれなら前住居者が気づくはずだ。
 顔も知らない前住居者を理由もなく信頼している。
 僕の家には大隈さんが今も住んでいるだろうか?
 住んではいないと思う。この半年間、その姿を見かけたこともない。

 僕の以前の名前は大隈千紗重だったろうか?
 そんなことはなかった。改名したことはない。婿養子にもなったことがない。ペンネームでもない。
 じっと手紙の表面を観察する。手がかりを求めて。
 謎の答えは謎の中にある。

 帰宅して、棚から黄色い付箋を取り上げた。
 そして細字のボールペンで文章も書いた。
 僕から郵便配達員へ、とても短いお手紙を書いたのだ。
「〇〇マンションに届いていました」
 手紙に付箋を貼り、ポストに投函した。
 
 次に何が起こるのか、僕はもう知っていた。
 なにもかも忘れた頃に、郵便局からはがきが届くのだ。
「迷子の手紙を助けてくれてありがとう」
 とある偶然によって、僕はそれを知っている。 

 

あたらしい本棚

 本棚の無い部屋で僕は行き場を失った。
 本はみんな壁に寄せて積み上げてほったらかしてあった。
 本には薄くほこりが積もっていた。

 本棚を買って部屋に置いた。
 それからダンボール三箱分の本を収納した。
 本棚は本で満たされた。
 そして何冊かの本がまだダンボールに入ったままだった。
 本棚にはぎちぎちに本が詰まっており、もう収納できない。

 本棚に入りきらなかった本は、砂漠の表面に顔を出した古代遺跡のような恰好をしていた。
 それは今にも崩れそうだったし、高さも不揃いで、本のようには見えないところがあった。
 混沌は上手く認識を逃れる性質があるようなのだ。
 それはダンボールの中で砂嵐のようになっている。

 本棚に並べ終えた背表紙はずいぶん賢そうな顔つきをしていた。
 うつくしく並んでいるものには何か意味があるように感じられた。
 本の並び順にはまったく意味がなかった。
 でも僕の意思とは無関係に本は賢そうに並んでいた。

 本棚に並べた本を読み返すことは稀だった。
 稀であることは本棚の機能を十分に使いこなせていないように思われた。
 一日で本棚の本を全部読めるだろうか、と正体不明の考えが浮かんだ。
 一冊につき一分だけ目を通すことにした。

 一分でめくれるページ数は大体20pから40pほどだった。
 一分では、そもそも本の最後までぱらぱらめくることも困難だった。
 5,6冊の本で試したあと、一冊一分の計算だと合計何分になるのか試算した。
 本棚にはおよそ200冊の本が並んでいるので、3時間弱かかることがわかった。
 
 そんなことをしていたら太陽が昇ってしまう。
 一冊に割く時間を減らす必要を感じた。
 いろいろ考えてみた結果、冒頭の一行だけ読むことにした。
 本棚の本を一日ですべて開いてみるにはそうするしかないように思われた。

 小説も勉強の本もすべて最初の一行だけを読んだ。
 30分ほどかかった。本棚の本をすべて開くことに成功した。
 一日に200回本を読み始めたことは一度もなかった。
 この経験から学んだことを早速生かそうと思った。
 

ジジイ映画

 愛を込めて彼らをジジイと呼ぼう。

 

 ジジイ映画という潮流がある。
 それはジャンルとして明確にされているわけではないけれど、シナリオ的に考えると明らかにジャンル化されている。
 高齢化社会の真っ只中にいる僕としては、そしてこれからジジイになる身としては、ジジイとはなんぞやというところを明らかにしておきたいところだ。
 ジジイになったら何を喪うのか。
 ジジイは何が出来るのか。
 ジジイの役割とは何なのか。
 そのヒントが映画の中にもあると思う。

 


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 ギャングジジイ映画。
 渋いジジイがたくさん出てきて、ジジイのかっこよさとジジイのファニーなところが描かれる。
 基本的には『俺たちの若い頃』をなぞった行動をとることでジジイからの脱却を図っている。
 まだまだやれるわい感と、その裏でしっかり死を悟っているバランスがよい。
 ジジイたちの24(トゥエンティーフォー)感覚は、青春と同じくらいノーフューチャー。
 決死のジジイ。
 


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 ゾンビ+ジジイ映画。
 ファニーなジジイが描かれる。ゾンビとジジイの追いかけっこが圧巻の面白さ。
 ジジイへの愛が存分に込められている。監督はジジイが好きだと思う
 ゾンビとジジイの親和性は新発見。
 コメディージジイなのでこの映画のジジイは不死性を得ていてあまりかわいそうではない。
 ラストシーンのジジイの一言は、ゾンビ映画でなければ表現できなかったかもしれない。
 不死身のジジイ。

 


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 プロレスジジイ映画。
 涙なしには見られない不器用ジジイの喪失感、失意。
 本当に悲しい気持ちになる。
 ジジイの悲しみとジジイの挑戦、ジジイの夢とジジイの希望。
 生きることが凝縮されている。
 必死のジジイ。

 


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 西部劇ジジイ映画。
 ジジイ映画としての完成度がずば抜けている名作。
 そもそもクリントはずっと昔からずっとジジイで、ジジイのなんたるかをよくわかっている。
 すごく悲しい映画で、老いたカウボーイが馬に乗れないシーンは直視できないほど。
 ジジイについてすごく考えられていて、ジジイの弱さを隠さない。
 ラストシーンは全ジジイに対するシュプレヒコールだと僕は思う。
 死を運ぶジジイ。

 


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 リアルジジイ映画。
 これぞジジイと言いたくなるようなアメリカの頑固ジジイ。
老害』的な価値観と向き合っている側面もある。
 このジジイは、ジジイヒーローとして描かれず、共同体の中でジジイ的価値観が肯定されるところがあたたかい。 
 とても静かで、とてもひとり。荒野とブルースハープ
 哲学の要素も大きなテーマとして用意されている。
 死を悟るジジイ。


 ジジイは死と隣り合わせで生きている。
 だからとても不憫なことがたくさん起きる。
 どれだけジジイが強がっても、ジジイに向けられる視線は恐れではなく、もっとかわいそうなものを見る目だ。
 ジジイはジジイとして世間に立ち向かう。楽になるどころか人生の難易度はどこまでも上がっていく。
 それでもジジイは生きている。
 この描き方は、つまるところ少年の描き方と同じなのだよなと考える。
 少年はジジイと同じくらい力がない。でも少年と同じようにシンプルだ。
 少年には未来があり、ジジイには過去がある。
 ただそれだけの違いにも思える。
 少年もジジイも、希望を目指して進んでいくことに変わりはない。
 ジジイになって絶望する前に、希望を持ってジジイになりたいなと僕は思う。

ごゆっくり

 書くパワーが不足していて、気が付くとすっかり生活に追われていた。
 濃密な生活が来て、それが傍にあるとすかさずパワーを奪われる性質のひとかたまりの時間。
 映画を見に行っても脳がぼんやりしていて、仕事のことを考えてしまうあるいは、何かやらなくてはいけないような気持ちが集中を妨げている。ひとりで貰い物のジンを飲んでいても、うらぶれた食堂で夕飯を食べていても、寝ていても、何かが心を別な所に引っ張っていった。足が地面から3センチ浮いているからまっすぐ歩くのが難しい。同僚と笑い話をしているとき、時空が歪んで笑い声は3秒後に自分に届く。カメラのピントがいつも微妙に合っていなくて被写体がドリーミーに霞む。そんなかんじ。
 
 夜勤明け、引継ぎの先輩が来て一番最初に話したことが仕事とは全く関係のない話題だった。
「今日、Sさんが飲み会に来られなくなりました」
 なんでこんな時期に酒を飲もうという話になったのか、いきさつはもう忘れてしまったけれど、日程調整を任されていた私はSさんが来られなくなって少し安心していた。ぱつぱつに仕事を入れて、飲み会にまで心を割いて、その上でごくプライベートな生活があって、この頃の時間の密度が緻密過ぎる。余白の一切ない印刷物みたいに異様な密度。細部を認識する能力がすり減って消えかける。ししみさんこの業務やったことないから教えてほしいな。わかりました。ししみさんこないだMさんとどこの店行ったの? しもきた。ししみさん、新しい業務の教育の日程とメンバーの調整してもらっていいですか。わかりました。ししみさんモンエナ買ってきました! ありがとうね。ししみさん資料できました。うーん、いい資料だねえ、私は好きだよ。ししみさん今度は何食べに行く。洋食とかどうですか。ししみさん、僕、業務でミスっちゃいました。大丈夫だよ、それくらいではクビにはならないし、君は死なない。ししみさん長期休暇の業務お願いしますね。わかりました。ししみさん、Sさんってどう思う? 頑張ってますよね、ミスもないしよく出来ます。ししみさん時間あったら手伝ってほしいんだけど。あと2分で暇になります。ししみさん休憩中にすみません! ししみさん業務時間外にすみません! ししみさん、深夜にすみません! ししみさんすみません、こっちのほう忙しくなっちゃって、今日行けないです。

 私はものすごくシャイな子供だった。学区内シャイ・ランキングがあったら間違いなくトップ3に入るであろうトップ・オブ・シャイであり、内気で口下手でいつももじもじしている人間だった。友達も全然いなかった。老若男女問わず話しかけられれば顔が真っ赤になった。子供の頃の私の夢は『工場作業員』だった。誰とも話さなくて済むと思ったからである。もともとがそんな者だから、私の核は未だにシャイ内気口下手もじもじであり、多数の人間と同時多発的にコミュニケーションを取れるようには出来ていない。出来てはいないのだけれど、一度社会に出てしまえば、シャイだろうが内気で口下手でもじもじだろうがもう関係ないのだった。私がどれだけ恥ずかしがっていようが仕事は降りてくるし、それはクリアしなければならない。肌が何色でも母語が何語でも元犯罪者でも余命1週間でも、現場にいて、やる気がありそうな人間なら私は話しかけられる。手伝ってほしいからである。私に話しかける同僚も、やっぱり同じように考えていると思う。
 社会に出て、私はタフになったように思った。でもそうじゃないのかもしれないと最近は考える。たぶん、弱いままでもやれることを発見しただけなのだろう。

 夜勤明け、松屋でエッグソーセージ定食を食べた。松屋の朝メニューで、朝ごはん然とした爽やかな献立が胃にやさしく、全体的に味が少ないところが好きだ。カウンターの片すみに陣取って、ガラス戸の全面から溢れてくる春の陽ざしを浴びていた。仕事に出ていくサラリーマンの歩く姿を見ながら、社会から切り離されているように感じた、なんか爽快な朝だった。
 ご飯を食べ終わってもまだ心が浮遊していて、公園の隅に隔離された喫煙所で煙草を吸った。喫煙所はひどく静かで、鳥の声すらも聞こえなかった。急にジム・ジャームッシュの『パーマネント・バケーション』のワンシーンが思い浮かぶ。主人公の青年が音楽を聴いているわけでもないのに指をぱちぱち鳴らしながら踊るように歩いているシーン。うらぶれた路地を歩いていても楽し気な世界を持っている青年の姿。私もそういうものになりたいなと思った。イヤホンをしてアマゾンミュージックで適当なプレイリストを再生するとスリップノットのサイコソーシャルが流れた。春のナイスな陽射しとも、今の気分とも全然合っていないのが面白くて、お昼前ののどかな町をPsychoにして歩いた。映画には、世界が終わる時に、やさしい音楽をながす演出がある。世界の滅亡には美しいピアノの音楽がなぜかしっくりくる。だから、春のうららかな町には、スリップノットが必要だった。

 帰宅して、手を石鹸で洗った。マスクも手洗いしてすぐに干す。服を部屋着に変えて洗濯機を回す。アプリでフォールアウトシェルターを起動して資源を消費させているうちに眠くなる。冷蔵庫からうずらの卵を出して寝ぼけながら食べた。この間、突然やってきた姉がお土産として持ってきたものだ。ゲームを消してステレオからジャズを流しているうちにどんどんメロウな気分になって、その時すごく久しぶりに自我が戻ってきた。何がきっかけかは自分でもよくわからないけれど、落ち着いた、ゆっくりした精神状態だ。洗濯機の回転する音、それからジャズのピアノ、春の陽射し、うずらの卵。今日は休日だ、と思った。
 ロックグラスに大きい氷を入れてカティーサークを注ぐ。部屋を掃除しながらウイスキーをすする。洗濯物を干す。プルームテックを吸いながら、本当に久しぶりに本を読んだ。『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』だ。とてもいい本だった。この本の中で若林さんはモンゴルに旅行に行く。そして馬に乗る。馬って世界で一番かっこいい乗り物だなあと思う。高級車よりも、自家用ジェットよりもかっこいい。馬は速いし、かしこいし、何よりも、生きている。生きて、人間を乗せてくれる。